心霊スポット紹介プログ
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所在地:埼玉県飯能市下畑
探索日:2007年6月2日
埼玉では化けトンと呼ばれる有名な心霊スポット。
トンネル内部の天井には大きな白い染みがある。
染みには苦痛の表情を浮かべた無数の顔が見えるらしい。
もし、笑った顔の染みを見つけてしまうと死ぬ…との噂。
そのような染みは実在するのか、真相を求め単独潜入。
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畑トンネルに纏わる最もポピュラーな噂話は人面犬の話である。
一説によると一世を風靡したあの「人面犬」の発祥地であるとの話もあるが… 人面犬の発祥説自体が都市伝説と化している為、誰も真相は分からない。 私が調べた限りでは、残念ながら発祥地である可能性は限りなくゼロに近い。 他には四つん這いの婆さんが出るとの噂話もある。 トンネル出口に差し掛かろうと言うところで後ろを振り向くと… 凄い怒りの形相をした四つん這いの婆さんが現れて追いかけてくるらしい。 他にも様々な噂話があるが、中でも私の目を惹いたのは次の話だ。 「笑う染み」。 その話は所謂、呪い系に分類される噂話である。 トンネルの天井には大きな白い染みがあるらしい。 その染みには苦痛の表情を浮かべた無数の顔が滲み出ていると言う。 万が一、笑っている顔の染みを見つけてしまうと狂い死ぬらしい。 肝試しに訪れたあるメンバーの一人の女性がそんな噂を知ってか知らずか 「あっ!あの染み笑ってるよ。あはは、面白~い。」と染みを指さしながら言った。 他のメンバーは彼女の言う笑っている染みを見つける事ができなかった。 天井の染みを指さしながら彼女は一人でケタケタと笑っていた。 そんな彼女の姿を見て周りのメンバーは気味悪がった。 その後、彼女は可笑しな言動を取り始め入院…、ある日、心不全で急死した。 病院の天井を見つめケタケタ笑いながら死んでいったと言う。 そんな呪いめいた噂話のあるトンネルである。 人面犬や四つん這い婆さんの話はともかくとして… その染みが実在するのかは少々興味深い。 真相を確認する為、私は単独で畑トンネルに向かった。 時は丑三つ時、果たして笑う染みを拝む事ができるだろうか。 |
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所在地:東京都八王子市元八王子町
探索日:2007年6月1日
1590年に八王子城は豊臣方の軍勢により落城。
落城の間際に城内の婦女子達は自ら死を選んだ。
短刀で自らの首を突き、御主殿の滝に身を投げた。
御主殿の滝から流れる川は三日三晩赤く染まったと言う。
単独で闇に包まれた城跡に潜入、探索する。
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1590年(天正18年)6月23日。
八王子城は豊臣秀吉の軍勢、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの一万五千の軍に攻められた。 当時、城主の北条氏照と家臣の殆どは小田原の合戦に出ており、城内には僅かな家臣と婦女子しかいなかった。 急遽、領内から農民や職人、その家族らを呼び集め城内に動因したが… 婦女子・農民らを合わせても千人程が籠城したに過ぎなかった。 一万五千の軍勢に対抗する術は無く、僅か一日で八王子城は落城してしまう。 当時、籠城戦は籠城側を降伏させて開城させるといった敵味方の人命を優先する戦法が主流だった。 しかし、八王子城での戦は見せしめの意味もあった為、降伏する事も許されず徹底的に叩かれた。 不幸にも戦に巻き込まれた多くの非戦闘員が無残な死に方をした。 捕まった婦女子達は首を刎ねられ、ある目的から首だけが小田原方面へと運ばれた。 同時期に小田原城の攻防、"小田原の役"と言う豊臣軍と北条軍の大規模な戦が繰り広げられていた。 八王子城から運んだ首を北条軍の前に晒して士気を下げるといった非人道的な知略が遂行された。 北条軍には八王子城に妻子を置く将兵も多く、絶望と悲しみにより士気を失った将兵も少なくなかった。 非人道的な知略を使わなくてはいけない程に重要な戦だったのである。 家族の前に首を晒されるくらいならと、婦女子達は自らの喉を短刀で突き、その身を御主殿の滝に投じた。 小田原で戦う家族の足手纏いになりたくないと言う想いが彼女達に自刃を決意させたのだろう。 死は免れない状況で最期の最期まで家族の事を想い選んだ道なのである。 御主殿の滝から流れる川は彼女達の血で三日三晩赤く染まったと言う…。 少々長い前置きになったが… 何故、彼女達が自刃して滝に身を投じたのか。 けして戦に負けたからでは無い。 我が家族を愛するが故に取った行動なのである。 そういった彼女達の心境も交えて後世に語り継がれて欲しいと思う。 トップの写真、実は彼女達の慰霊碑なのだが… 昔の人が作り上げた手間の掛かっていない無骨な慰霊碑だ。 お世辞にも供養になっているとは言えない。 慰霊碑の有り方一つでこの一帯は大きく変わるはずである。 少なくとも現地を訪れた私は彼女達の供養は終わっていないと感じた。 さて、実は今回の探索、一切の下調べをせずに挑んだ。 先に述べた話は私の主観も含め探索後に得た知識である。 当日、私は用事で八王子の近くまで来ていた。 夜も更けてきて空を見上げると綺麗な満月。 満月の夜は心霊現象の発生率が飛躍的に高まると言われている。 探索には打って付けと考え、以前より行こうと思っていた八王子城跡に向け車を走らせた。 その後の調べで分かったのだが、八王子城が陥落したのは6月、今回の探索月も6月…。 これ以上の条件は無いだろうと言う探索であった。 「婦女子らが滝に身を投じ、その血が川を三日三晩赤く染めた。」 その話のくだりは知っていたが、何処の滝かはおろか滝の名前さえも把握していなかった。 特に滝に関する案内も発見できず、夜の城跡には誰もおらず聞き込み調査もできない状況だった。 しかし、今回の探索中、私は姿無き者の声に導かれるように行き着いた場所がある。 そう、その場所こそが、いわく付きの滝、御主殿の滝だったのだ…。 その滝の手前には立ち入り禁止の札があるので、何も知らなければ足を踏み入れる事の無い場所。 その声の導きが無ければ絶対に行き着かなかった場所である。 何も知らなかった私がそこに行き着いたのは、はたして偶然だったのだろうか…。 情報が無い中での探索だったのだが、その声のお蔭とも言えるだろうか… 結果的には滝も慰霊碑も写真に納める事が出来たのである。 姿無き者の声については探索レポートの中で話したいと思う。 |
昭和46年,列車の正面衝突事故が起きた廃トンネル。
その事故により従業員,乗客ら25名死亡,255名負傷。
青山トンネル事故として史上に名を刻む。
単独で現地に足を運ぶも深い霧の為,潜入を躊躇。
意を決し潜入するが霧の為に撮影は困難を極めた。
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三重県内では旧青山トンネルとして名の知れた心霊スポットである。
正しい名称は旧青山トンネルでは無く旧総谷トンネルという名前のトンネルだ。 旧青山トンネルというのも近くに存在するが実際に列車の衝突事故が発生したのは旧総谷トンネルの方。 旧総谷トンネルは単線だった頃に使用されていたトンネルで衝突事故から間も無く複線工事が進み新たにトンネルが設けられ廃トンネルとなった。 このトンネルに訪れた人の証言にはトンネル内部から女性のすすり泣く声が聞こえた、何かを引きずる音が聞こえたなどがある。 心霊スポットとしての知名度は高いが肝試しが目的の夜の訪問者は殆どいないらしい。 山に囲まれた田舎で市街地からかなり離れておりトンネルの所在地もあまり知られておらず何より軽い肝試しのノリで気軽に行ける次元のスポットでは無いからだろう。 深夜に旧総谷トンネルに訪れる人は恐怖感の麻痺した心霊ジャンキーか三度の飯より心霊スポットが好きな心霊スポットマニアくらいだろう。 …私がそのどちらかはご想像に任せます。 2003年8月20日、旧総谷トンネルの詳しい場所の情報を得たので今回は単独で取材を試みた。 果たして一人で深夜の廃トンネルに足を踏み入れる事ができるのだろうか。 女性のすすり泣く声なんか聞こえてきたらちびって泣いてしまいそうだ。 そんな不安はあったが考えれば考えるほど弱気になってしまうので取り合えず勢い任せで現地に向かう。 165号線を津方面から車で飛ばす事40分、東青山駅に到着した。 東青山駅から徒歩で旧総谷トンネルに向かう。 |
所在地:大阪府貝塚市水間
探索日:2003年8月10日
三十年も昔に廃虚と化した旅館だが未だ健在。
オーナー自殺,火事,殺人説など様々な噂がある。
大型台風10号が大阪に上陸の最中の探索。
雨は霊的に影響を及ぼすのだろうか…
有り得ない写真を数枚撮影。
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2003年8月10日、貝塚市に三十年以上も放置された廃旅館があるとの事で友人Sと取材に行く事になった。
取材当日、約5年ぶりの規模と言われる大型台風10号が大阪に上陸していた。 雨が滝の如く降りしきる夜の高速道路を慎重に車を走らせ現地へ向かう。 アクセスは車なら阪和自動車道の貝塚ICからすぐ、電車なら水間鉄道の水間駅から徒歩でも行ける距離だ。 目的地である一龍旅館は水間公園に隣接しているとの事だが夜中に行くと非常に発見しづらい。 現に我々は一龍旅館の発見に至るまで3時間以上も要した。 暴風の中を歩いている人もおらず場所の聞き込みすらできなかったのである。 3時間以上も暴風の中を歩き回り持参した傘も風によって壊れ身も心も疲れ果て半ば諦めかけていた。 しかし住宅地に迷い込み運良く戸締まり中の中年女性に場所を聞き出す事ができた。 170号線を水間観音から水間公園方面に歩くと水間公園を過ぎて直ぐフェンスの張られた池が見えてくる。 道路から見て池を挟んで向こう岸に一龍旅館が建っている。 月明かりすら無い夜だと道路側からは殆ど一龍旅館の姿を確認する事はできない。 池沿いには企業の事務所があり夜中でも人が滞在しているので池沿いからの進入は不可。 そのまま道路を進むと左手にグラウンドが見えてくるのでそのグラウンドから一龍旅館方向を目指して歩く。 瓦礫交じりの土砂などを越えて行くと目的地の一龍旅館に到着する。 三十年間も解体されずに残っているのは立地条件の悪さから土地の再利用ができないのが最たる理由だろう。 現地に到着した頃には夜中11時過ぎで間も無く日付が変わろうとしていた。 さて先にも述べたがこの一龍旅館はいくつかの噂がある。 オーナーの自殺説や火事説、殺人事件現場説、戦時中の死体置き場説などである。 これだけ複数の噂が飛び交っているという事は過去の事件を証明する記事が何も無いと言う事で全てデマである可能性が高い。 「ただの廃虚だろう。」 そう思っていたので現地では差ほど恐怖を感じる事は無かった。 だがその思いとは裏腹に現地で撮った写真には通常では有り得ないモノが写りこんでいた。 「ここには何かいる…。」 仮に噂がデマだとしてもそう感じさせるモノが数枚の写真に写っていたのだ。 |