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心霊スポット紹介プログ
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それは偶然の一言がきっかけだった
埼玉の廃墟探索の帰りにでかい工場があって
若葉さんが「ここが廃墟だったらすごいよなー」
ドイ「むはははっ、そんな馬鹿な!」
というような会話だったのだが、芝公園公太郎さんが調べた結果
そこは廃墟だった
教訓:とりあえず廃墟であってほしい建物には
「ここが廃墟だったらすごいよなー」
と言ってみると廃墟になっているかもしれない
P1010010.jpg

 

 

 

 

この写真の縮尺でいうなら人間は1cmくらいしかありません
P1010013.jpg

 

 

 

 

この写真の縮尺でいうなら人間は1cmくらいしかありません

P1010054.jpg

 

 

 

 

 

正面の上側はどうなっているのでしょうか

 

 

 

 

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足尾銅山にやってきました。
というか長い間放置していてごめんなさい。m(・◇・)m

ようやくやる気になりました。
だがしかし!!
足尾に行ったのは去年の9月くらい、ちょうどドイテフが写真を
どう撮ったらいいのか、廃墟をどう捉えたらいいのかスランプに悩んでいる時でした。
そんなスランプ真っ盛りのときに廃墟に行ってもいい写真が撮れるわけでもなく・・・・
またカメラの絞り機能を知らなかったためにこのころの写真が自分では
一番嫌い です。

だから手抜きってわけではないけど、今回の写真はそのまま何の加工も補正もしないで載せます。

これはこれで面白い写真が撮れました。
P1040473.jpg







だけど今回は本当に適当でごめんねー
作業時間は30分くらいで作っていまーす

色が悪いのは絞りとかシャッタースピードがおかしいから
P1040418.jpg







前日にドイテフのじーちゃんに足尾銅山に行って来る。って話をしたら、じーさんとばーちゃんとおかんは
昔この足尾のすぐ近くに住んでいたそうだ。
公害の話や、その公害で山が丸裸に枯れていたことなど当時の話をしてくれた。
なるほど、たしかに山ははげている。これは秋だからか?
P1040409.jpg







廃墟な廃墟に行くとですね、こんな世界に出くわします。
この世界を探して探索をすると見つけられますがレアすぎてなかなか出会えません。それだけに出会えたときの写真に記憶する感動はたまりません

東名”都夫良野トンネル”... 交通事故が非常に多く、巷では魔のトンネルなどと
呼ばれております。当然この火葬場はその真上に位置するので、小坪誠行社火葬場
同様”心霊スポット扱い”されて来ました。
管理人も昭和59年にこの地を訪れていますが、曲がりくねった林道の中にあって完全に
見落としてしまい、何度か行ったり来たりした挙句、やっと見つけたそれがとても火葬場
らしくない近代施設(当時としては)だったので拍子抜けした記憶があります。
あれから20年余、多少くたびれた感じはありますが(当時は待合室は無かったと思う)
本当に久しぶりに”再会”出来て感無量です。  渓流ファン様、ありがとうございました。

ちなみに、炉裏に置いてあるバキュームクリーナーはS立機器もしくはZ王産業製ですね。
おそらく一般的な産業用真空吸引掃除器だと思います。
yama003.jpg







分岐から200メートル余り。斎場全景です。
敷地とその周囲は林も途切れ、日当たりの良い場所です。
構内で休憩しておられた地元の方(山菜採り)によれば、30年以上も前から火葬場
だったそうで、旧施設は「煙突付き小屋」だったらしいです。(山北町HPによれば昭和36年設置)
現在、地元住民でも小田原斎場を利用しここでの火葬は少ないとも聞かされました。
 

yama006.jpg







渡り廊下から写した待合室の中です。
待合棟張出し部には屋外から出入り出来るトイレがあります。
勝手知ったる土地の人やベテランのハイカーは、ここをお借りしている模様(笑)
付近で休憩していた土地の方たちと話していて感じましたが、
炉技術や建築デザインの改良により、「火葬場への嫌悪感」は確実に薄れています。
 

yama007.jpg







ガラス越しに良く見える炉前は、ごらんの通りの有り様です。
化粧扉は完全解放され、炉内台車が炉前に引き出されています。
霊砂(白い砂)が敷かれているところを見ると、次の火葬の準備状態のようです。
アーチ形の開口部を持つ断熱扉も少しだけ上げられています。
写真左には待合室に通じる短い渡り廊下への出入口が見えます。
その扉越しに地元の方が寄贈されたという六地蔵が並んでいます。
 

yama010.jpg







火葬台車と炉扉付近です。
何も言いません。じっくりと、心行くまでご覧下さい。

 

昭和45~50年の僅か5年間が、火葬場という施設にとって
大変革期に当っているという事実を改めて思い知らされるような
施設です。この施設とほぼ時を同じくして「前橋市」や「古河市」が
短煙突の火葬施設を導入しており、一方「石川町」や「越谷市」等
が従来の高煙突を採用しているのが非常に興味深いです。
 そしてこの角型高煙突などは、近代火葬場の技術変革期における
”時の流れに中途半端に取り残された遺物”に思えてくるから不思議
です。
chi001.jpg







秩父市にある広域施設「秩父斎場」です。
煙突の形が奇妙です。
昭和48年の設置だそうです。
chi010.jpg







炉前ホールの様相です。
炉数は4基。化粧扉の色は白(あるいは白に近いベージュ)で、
手前にある搬送車等からみて、炉本体は台車式と思われます。
年代と建物の奥行きからの判断ですが、炉に前室はないでしょう。
左端の炉だけ化粧扉がひとまわり大きいです。
公設の施設であり、民営のような等級制ではないでしょうから、
これは大型炉だと思われます。
 

サイト開設から1年以上経ち、今こうして振り返ってみると、これほどの
規模を持つ寺院風の火葬場は、日本全国を探しても多分ココだけでしょう。
千葉市は県庁所在地であり政令指定都市である事を考えると、こんな施設
が今まで生き残って来た事自体、非常に特殊なケースに思えてきます。
 もう既に移転が決定しており余命いくばくも無い状況ですが、近い内に
徹底取材を敢行してみたいと思います。

 ”森山大道”風の写真(あえて”写真”と呼ばせて下さい)が、強烈ですね。
chibana4.jpg






そして……この建物が現れます。
chibana7.jpg






炉前室に近づいてみました。ざっと見たところ、ロストル炉が
7基ならんでおりました。
chibana8.jpg






短い余命の千葉市営火葬場ですが、終わろうとしている夏の
一日とともに、一抹の寂しさをおぼえてしまいました。
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